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▼ロシア近隣諸国の旅(1) ベラルーシ


 仕事のために訪れた旧ソ連(ロシア近隣諸国)の実情を見たままにまとめてみたいと思います。日本からはあまり訪れる人の少ない地域でもあり、紹介しているサイトも数少ないために、これから訪れる方の参考になれば幸いです。 

ベラルーシ共和国-グロドノの旅

ベラルーシは数年前まで白ロシアと言っておりましたが、今はベラルーシです。首都はミンスクでロシアから独立したといっても、一体といっても良いほど近い関係にあります。チェルノブイリは南側隣国のウクライナにありますが、原発事故は風向きの影響で大きなダメージを受けました。政治的にはルカシェンコ大統領の独裁に近い国となっており、治安等は安定しています。グロドノは人口約30万人の比較的大きな都市で、歴史的にはポーランドに属していた時期などもあり、ナポレオンの侵攻やナチスドイツ軍との戦場になった場所でもあり、歴史に翻弄されてきた都市といえます。場所は首都ミンクスよりも西側(ヨーロッパ側)にあり、ポーランド国境まで20〜30kmほどの町です。

ベラルーシ駅(モスクワ):

モスクワの駅は、向け先別に中心部から少し離れた場所に点在しています。モスクワ市内は地下鉄が各方面に走っていますが、車を持っている人が増えて道路はいつも大変混雑しています。ベラルーシ方面への列車はその名の通り「ベラルーシ駅」より出発します。日本と違って駅には切符を切る改札はありません。各列車の車両毎に車掌さんがいて、乗り込む客の切符をチェックします。車掌さんは圧倒的に少し年配の女性が多いですが、若い女性や男性の車掌さんもいます。列車はかなり長く車両数は20位が連結されています。日本の寝台車と同じで、1車両は15部屋位にわかれています。1部屋(コンパートメント)に左右1段、2段、3段ベットの2〜6人用に分かれています。下記の記事は2005年6月7日の新聞記事ですが、女性と同室になることもしばしばです。この場合は女性が着替える場合など男性は部屋を離れることなどの暗黙の取り決めがあるようです。今回の列車はモスクワ5月24日16:54発でグロドノ到着は翌日の10:12着、2段ベットの4人部屋を3人で乗りましたが、最後まで相部屋の人はいませんでした。時差がモスクワと1時間あるので18時間ほど列車に揺られたことになります。日本から出発する時は、5月のこの時期のモスクワはまだ寒いとの予想に反し、気温は30℃くらいで暑く、クーラのない列車は閉口でした。新型車両にはクーラのあるものもありますが、今回乗り合わせた列車は通路側の外側の窓が一部開くだけで、部屋の窓は開かない構造でした。

モスクワ「ベラルーシ駅」のプラットホーム

2005年6月7日 朝日新聞掲載の記事

ロシアの列車に乗り込むとまず車掌さんがシーツやタオルなどのセットを運んできます。これは有料で日本円で200円位。また、紅茶などもたのめば持ってきてくれます。1杯60円程度なので高くはありません。またこの紅茶(チャイ)はガラス製のコップにとってのついた素敵な金属製(銅製?)の台座がついており土産にしても喜ばれそうなものです。カップラーメンなどを持っていけばお湯はもらえます。また、ビニールパックに入った食事セット(無料)が配られることもありますが、この食事がつくかつかないかはキップを見てもわかりません。列車が走り出すと物売りの人がきたり雑誌の束をベットの上に放り投げていく人などがやってきます。「良かったら見ておけ」と言いたいようですが、そのままほうって置いたらすぐにまた取りにきました。また、各部屋は内側から2箇所鍵がかかるようになっていますが、盗難も多いと聞いています。ロシアからベラルーシは深夜に国境を越えることになりますが、昨年秋と今回の2度の旅ではどちらも途中での検察はありませんでした。ただ、飛行機でミンスクに降りると、数年前まではフリーパスであったものが、最近はパスポートとビザのコントロールが厳しくなっていると聞いています。

列車はモスクワを離れてまもなくは白樺の林や広い高原とか畑の中を走ります。またモスクワから1時間くらいの間は色鮮やかな屋根をもつ多くの別荘が点在しています。これはモスクワ市内では皆アパートに暮らし、週末は郊外の別荘で野菜などを作って生活するスタイルが多くなっているようです。別荘といってもあまり大きなものではなく、100坪程の土地が区切られて別荘として売り出されたもののようです。この地方は冬は夜が長いですが、5月のこの時期は夜はなかなか暗くなりません。9時半ころまでは明るい。でも早めに横になると、列車の振動が心地よくすぐに眠りに入ります。ミンスクは夜中の2時頃に到着ししばらく停車。グロノドに近づくと窓の外は、牛や馬が草原で草を食べている風景が広がっている。また、一面黄色の菜の花畑が続く。外を歩いている人もモスクワに比べ気温は低くはないが、皆長袖で、上着を羽織っている人も多い。モスクワで若い女性に流行のヘソ出しルックの人はあまりいないようです。

グロドノの町の中心の広場。日本では懐かしいトロリーバスが走っている。車の数はそれ程多くはないが、自家用車の保有率は40%位でロシアなどよりも多いと言う。この写真はロシア正教の教会入口階段より撮影。 公園中央の公衆トイレ。料金は350ベラルーシルーブル(約2円)。トイレの入口階段を下りると下におばさんが料金を徴収しています。

ロシア正教の教会。この外、ギリシャ正教、カトリックなどの教会もあり、文化が入り混じっている。

 教会の内部。グロドノはポーランド人が40%位いるとのこと。この日も団体でお祈りに来ていた。

写真左上の建物の奥に、歴史資料館があります。10〜12世紀には原住民が住んでいて、12世紀に町ができあがったとのこと。歴史資料館は旧石器時代からの生活展示から、ナポレオン戦の英雄や画家・作家などの有名人の写真などかなり色々なものを展示していた。建物を出ると学校が休みになった子供たちが珍しそうに話しかけてきた。日本でK-1の選手に有名な選手がいることを自慢していた。また日本のコインが見たいとのこと。生憎持ち合わせていなかったが、この国はコインがない。お札のみである。2000ベラルーシルーブル(約10円)でマッチが5箱買えるとのこと。通貨の桁が多いので価値がわからなくなる。物価はモスクワが高すぎることもありますが、ここでは約1/5くらいでしょうか。 上の写真は、町の中心街の反対側の岸辺の公園からグロドノの町の方を望んだ景色です。とても素敵な景色です。ベラルーシは首都キエフから西に流れるネマン川と南のウクライナへ流れるドニアプル川の大きな2つの川があります。ネマン川はここグロノドからリトアニアの中心部を通ってバルト海へ注いでいます。今までに何回も洪水を起こし、ここグロドノも高台の建物も被害をうけています。訪れた時は穏やかな静かな川が心地よく流れておりました。川には2本の橋が町の両端に架かっています。この国はチェルノブイリ原発の被害を受けているが、日本の原爆被害のことも良く知っていて、日本の発展を尊敬の念を持っているのが感じられました。

5月末から、学校は長い夏休みに入ります。丁度卒業式帰りの女生徒の一団に出会いました。皆昔からの白いエプロン姿で、とてもかわいらしい格好ですね。 グロドノ郊外のもう一つの教会です。教会の壁面の川側の半分はレンガが剥がれて半分だけが昔の姿を残しています。ここから川岸まで数十メートルの高さがありますが、洪水がここまで上がってきたとは驚きです。また地下より川岸へ秘密の通路が避難用に残っているそうです。

グロドノから車で10分くらいのところにある人工の大きな湖である。海のないこの国では5月ではあったが、数十人の人たちが泳いだり、日光浴をしたりしていました。緑の林の中を入ったところにあり、ポーランド国境まで18kmほどとのこと。日本なら湖のまわりに食べ物屋なり、休憩施設なりができるところですが、この国はそんなものは一切ありませんでした。

グロドノの旧市街。今の時季は夜10時頃まで明るい。