石岡地方の昔話                         

・国分尼寺の黄金伝説


  国分尼寺跡の付近の尼寺ヶ原(にじがはら)に「ごき洗い」と呼ばれるくぼ地がありました。 “ごき”とは、「御器」と書き、 「ごき洗い」は、食器などを洗った池があったためにそうよばれていたものでした。
 府中城の大掾氏が佐竹義宣により滅亡に追い込まれた時(1590年)、この国分尼寺も兵火で七堂伽藍焼失してしまいました。
 国分尼寺では、火の回りがあまりにも早く、全部の物品を持ち出すことができず、大切な仏像、金と銀で作られた調度品や装飾品などを炎の中から運びだし、略奪から逃れるため、全てごき洗いの池に投げ込まれたと伝えられています。しかし、兵火の中で尼僧や寺院の関係者は全員死亡し、ごき洗いの池も焼け落ちた瓦や木材で埋まってしまいました。そのためごき洗いの地中には、黄金が眠っているのだと伝えられています。
 江戸時代、このごき洗いを掘ろうとした百姓は、崩れ落ちた土の下敷きになって死んでしまいました。仏罰を恐れた人々はそれ以来誰も掘ろうとはしなかったといわれています。

 朝日さす 夕日かがやくごき洗い 黄金千枚 仏千体

尼寺ヶ原にひそかに言い伝えられた歌です。

   市報いしおか No344より 一部抜粋

Home