十三塚のいわれ                         

 

むかしむかしのことです。ある日の夕刻のことでした。一人の旅の僧侶が筑波山から下ってきて最初の集落にさしかかり、村人のひとりに、

「この集落には寺はないだろうか。あったら一晩厄介になりたいのだが。」

と尋ねました。すると村人は、

「この先に寺はあるけれども、今は無住の寺で、食べ物もなく雨露をしのぐだけで、およそ人が泊まれるような寺ではありませんよ。」

と親切に教えてくれました。これを聞いた僧侶は、

「わしは、僧侶の身だからどんな処でも体を休めることができればいっこうにかまわない。ぜひその場所を教えてください。」

と重ねて頼むと、村人は困ったような顔をして、

「しかし、あの寺はよした方がいいですよ。あの寺に泊まった人で次の日に帰ってきた人はひとりもいないという話です。なにか悪い者がいて殺してしまうのではないかとの噂のある寺です。もう少し下ると小幡という宿場があり、そこに行けば寺も宿屋もありますから、下にいきなさい。」

と心配そうに注意してくれました。旅の僧侶は、

「いやいや、そうした処こそ泊まってみたいのじゃ。もし悪人がいるようだったら、よくよく教えて善人にすることが、坊主の仕事じゃよ。」

といって、日暮れの道を寺に向かって急ぎ足で歩きだしました。その夜になって僧侶は寺の本堂に放り出してあった幕などをかぶって、着の身着のままで横になってうとうととまどろんでいると、真夜中の頃に、谷川の水音だけが聞こえる頃、一匹の大猫が僧侶の枕元に現われて

「自分はこの寺で飼われていた猫であるが、住職がいなくなってから、この寺に住みついた年を経た大鼠が暴れまわり、人でも猫でも手向かうものは噛み殺してしまうのです。自分も猫として鼠に負けるのは悔しいのですが、自分一人ではとてもかなわないので、お坊さんの力であと十一匹の大猫を集めてきてはいただけないだろうか。そうすれば十二匹の猫で力を合わせて大鼠を退治できると思うのです。」

といったかと思うと、僧侶は夢から覚めてしまいました。翌朝、僧侶は集落にもどり、昨夜の夢の話を村人に話して、村人と一緒になってあちこちの大猫十一匹を集めました。夜になるのを待って十一匹の大猫を山寺に置いてきました。その晩は集落に泊めてもらい、真夜中になるのを待っていると、山寺の方角からは、十二匹の大猫と一匹の大鼠のすさまじい争いと思われる吠えるような声が集落にまで響いてきました。僧侶と村人たちは、夜が明けるのを待ちきれずに山寺に駆け付けて見ると、寺の広間から廊下にかけて、噛み殺された血だらけの十二匹大猫の死骸がありました。広間の中央には、金色の毛の生えた大鼠が血に染まってしんでいました。村人と僧侶は、

「こんな大鼠ではとてもかなわないだろう。十二匹の大猫はよく戦ったものだ。」

と感心したり哀れに思ったりで、村人と僧侶は一匹ずつ、山寺の脇に猫や鼠の塚を造って供養したといいます。この十三の塚が築かれたことから、いつの間にか集落の名が 「 十三塚 」 と呼ばれるようになりました。 

 

   八郷町史(平成17年版)より

 

筑波山へ登る山道の入口にあたる十三塚地区には果樹園が広がる

十三塚には、徳一法師が配置した筑波四面薬師の一つ山寺があった。

 

<コメント>

全国に十三塚の名前の所は多く存在し、またその謂れ(いわれ)が残っているところも数多く存在する。

多くは武士が戦死したものを葬ったところであったり、子供たちが水難事故やその他の事故で亡くなったものを葬ったとするところなどもある。

元々数多くの塚(古墳など)がまとまってあった場所を十三塚と呼んだのではないだろうか。

ここの十三塚はネコとネズミであるが、八郷町史ではこのように旅の僧侶がでてくるが、地元に伝わっている別の話では「ごんべいさん」という村人であったりもする。

近くに高僧「徳一法師」が建てた寺と言われるところも多く存在し、話が僧侶になったのではないだろうか。

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