▼鹿の子遺跡茨城県石岡市若松3丁目8982番地外 

歴史の里石岡ロマン紀行


鹿の子C遺跡は、常陸国分尼寺跡の北方約300mに位置し、常磐高速道路建設の際の調査で発掘された遺跡であり、現在は高速道路の脇に案内板が残るのみである。旧国衙の工房跡(北側)や中央部に住居が集中し、南側は官衛施設があったと推察されている。当時の住居は3〜4m四方の方形に規則的に配備され、それぞれ北側に竈を配備していた。本遺跡の発見を記念して風土記の丘が建設された。出土品は風土記の丘や市民族資料館などに保管されている。 (撮影:2007年1月)

 

今では遺跡の案内板に従って行っても、遺跡があった看板が立てられているのみである。出土した文書から判読できた年号は749〜795ねん頃であり、奈良時代末から平安時代前半にかけて営まれた遺跡であり、8世紀後半から始まった蝦夷征討の基地として重要な位置を占める国衙工房的機能を有した遺跡であったと思われる。

鹿の子遺跡は、常磐自動車道の建設に伴い、昭和54年11月から昭和57年2月までの間に、約1万7000平方メートルが発掘調査された。発掘調査により、溝で区画された中から、竪穴式住居後69軒、連房式竪穴遺構5棟、掘立柱建物跡31棟、工房跡19基などが発見された。また、この調査で土器、墨書土器、鉄・銅製品、瓦、漆紙文書など多量の遺物が出土した。特に漆紙文書は、長岡京跡(京都府)や多賀城跡(宮城県)で出土したものより多量で、内容も出挙帳、人口集計文書、兵士自備戎具の簡閲簿など全国で初めて発見されたものもあり、奈良時代から平安時代から平安時代初期にかけての行政や民衆の生活を知る上で、きわめて貴重な文書である。

鹿の子遺跡は、発見された遺構や出土品から、鉄製品を中心に製造していた国衙工房跡と考えられ、「地下の正倉院」と呼ぶにふさわしい貴重な遺跡である。

昭和60年1月   石 岡 市 教 育 委 員 会 

          石岡市文化財保護審議会