▼北向観音堂-小町ゆかり-茨城県石岡市小町越 

歴史の里石岡ロマン紀行


北向観音は全国に多く存在します。来世の幸せではなく現世の幸せを祈るところと言われています。ここの北向観音堂は平安時代の歌人で絶世の美女と謳われた小野小町が悪い皮膚病に罹り、北向観音堂の11面観世音菩薩に病い平癒の祈願をすると共に、霊石のいぼ神様にお祈りをした所立ち所に治ったと伝えられています。全国に小町伝説は数多く存在します。この山の反対側の筑波新治地区では小野姓の家の裏手に小町の墓が残っております。また、小町が旅の途中病で亡くなったとビデオで流しており、小町の里としてそば打ちなどを行っており、公園となっています。ここ北向観音も地元の有志(八郷町ふるさとの史跡まもり隊)の手で数年前に綺麗に整備されたものです。小川のせせらぎや鶯のなくのどかなまわりの雰囲気はとても好きです。是非一度訪れてください。  (撮影:2007年3月24日)

 

聖武天皇(奈良時代)の御代、行基菩薩によって創建されたと伝えられている。

菖蒲沢から不動峠のほうへ約1.2km入ったところにあります。通りから田んぼのあぜ道を少し入ったところにあります。

 地元の有志の方が作成した案内板

小町が化粧した清水

 

 

北向観音堂

昔は盆の17日夜の万灯が賑やかで、月に浮かれて、念仏踊りや盆踊りが盛んであったとのことである。

天井画

ご本尊「聖観世音菩薩立像」

この観音像は、行基菩薩が奈良から連れて来た稽主勲兄弟の作といわれるけれども、一説には、観音を背負った回国六部がここにきて病にかかったとき、長い間厄介になったある家の主人に観音のご利益を説き、お礼として残したものともいう。(八郷町誌)

 

 

裏山の途中にある「小町腰掛石」 山を5分程登ったところにある。途中は少し息切れするくらいの登りである。(恋の道とネーミングしている)

小町の皮膚病が治ったとの言い伝えのいぼ神様(石)

 

小野小町姿見の池:小野小町は新治村より病を治す為、観音堂の霊力で病もいえ、生気を取り戻した。側の池に自分の姿を写した時、そこには肌の白い美しい小町の姿があった。 伝説「姿見の池」の誕生。

小野小町かんざしの木:小町は病も治り、お礼に挿していた「かんざし」を川端に埋めた。後年、大樹となり六月頃にかんざしに似た実が付く。本名「菩提樹」

 

小町姿硯石

北向観音堂への道の脇には地元の方が花を植えて「小町花街道」となづけれれていた。訪れた時(3月)は花の時期ではなかった